ときめきの(1-9)作
(額はイメージです)
【 紅 明 】 
もう直ぐ輝きの夜明けがやって来る。
2月下旬 午前5時半 精進湖
それはこの冷えの先の新世界。
夜明け前、一日の内で一番冷える時。
そして朝の光が膨張する時。
寒さに比例して色は赤みを増す。

鏡の湖を知っているだろうか?
富士山から北西の樹海の外れに有る一番小さな湖を。
指先も凍える様な冬の朝、その前に立つと見せてくれる。

夜が終り夜明けを迎えに行く瞬きの時間に
湖はさざ波を止めて鏡になる。
まるで夜明けのドラマを息を詰めて見守る様に。

その時、ふわっと雲が湧いて湖に影を映した。
富士山はシルエット。でも良く見ると写っている。
嶺の微かな白雪も、手前の小さな山までも。

【 夜 明 の ベ ー ル 】
夢の中で呼ばれた。木花開耶姫が姿を見せた。
12月4日 午前6時 猪の頭の草原
 夜中に麓の草原に着いた。湿気を含んだ厚い雲が富士山の嶺を隠していた。明朝は山の姿が見えないかも知れないが三脚だけは立てておこう。草の匂いに包まれて車の中で眠った。

「出ておいで」。午前6時前、微かな声が聴こえた。
夢うつつの中でもう一度「出ておいで」と優しい女性の声が上の方から聴こえた。

 跳ね起きた。辺りは薄暗い。山も見えない。目を擦りながら車外に出て暫く三脚の前に立っていた。

 地面から這い上がる初冬の冷気が私を包む。寝袋に包まれていた体温をどんどん奪ってゆく。

 風が起きた。その風が雲を流した時、富士山が肩からフワッとベールを掛けて姿を見せた。そしてすぐに消えた。情景は一期一会。僅か10秒の出来事。2回だけシャッターを押せた。

 目の前の光景に吸い込まれた。写っていたかどうかも定かではない。木花開耶姫がその姿を私に見せる為に出て来てくれた様な気がして、暫くは寒さを忘れて呆然と立ち尽くしていた。

 2日後、富士フイルムから仕上りが届いた。写真は2枚とも深い色が出ていた。あの時の富士山の姿が目の前にある。やっぱり山が呼んでくれたんだ。

 美しい紺青のときめきの富士。21世紀を開く写真だと誰かが言ってくれた。


平成15年度 文部科学大臣賞 受賞作品
【 天 空 に 舞 う 】
夢を乗せたフェニックスが舞い上がった。
5月下旬 午前8時 忍野村忍草より
ビュンビュンと上空に風が疾った。
雲は流され、離れ、固まり、形を変えて舞いながら、私の心に広がって飛んでいった。

ある一瞬、形が出来た。大きな雲の塊をまた強風が崩してゆく。
そして鳥になった。

まるで翼と羽毛のようだ。あれは鳳凰だ。
大きく大きく空全面に羽ばたいた。

写真の上部から下に向かって目を移すと、飛行機から青く広がる海と空に浮かぶ雲達を見ている様にも見える。

あ、陸が出てきた。何処の島だろう。おー 富士山じゃないか!
かっこいいなー。

夢をはっきりと確信する時にこの写真を見る。よし、前途は希望に満ちているぞ。さあ、前に進もう。そんな勇気が湧き上がる。

確信したら始まる。夢の方から近づいてくる。

【月 光 紅 葉】
深夜の最高潮の紅葉・・・月明り
10月下旬 深夜 安倍峠より
 満月だった。富士山がシルエットで観える。月光は微かにその下の山並を照らしていた。深い谷間は真っ暗、昼間観た絢爛の紅葉の色は全く見えない。

 夜7時を過ぎて津々と冷えて来た。中空にあった満月は時が経つと共に上空へと移って行った。

 月光で撮ってみよう。きっと満月の光が沈んで眠りについている山肌や谷の色を浮かび上がらせてくれる。絞りを開放気味にして5分間シャッターを開けておけば写る筈だ。

 私の大好きなFUJIの機械式のカメラは、電池や露出計を使わないからシャッター速度は自分で決める。特に長時間撮影には頼れる無敵のマシンだ。

 この夜は全く逆の実験をした。レンズの絞りを最小限にして、光を長時間取り入れなければ景色が写らない設定にしてみよう。

 絞りは22に設定した。通常の撮影より10数倍、光を取込む時間をかけないと景色が写らないという理屈だ。しかしわざと更にその倍の時間が必要になる仕掛けをしてシャッターを押した。

 チャンスは1回のみ、22時半にレンズのキャップを外した。深夜1時過ぎまで光を取り込もう。あとは天に任せた。

 数日後、仕上がりを観て驚いた。想像を超えた色が出ている。紅葉は昼間以上に色が深い。長時間撮影した分だけ雲が流れているから夜の写真と判る。

 月光は昼間の太陽の明るさとは違い、内面に潜んだ色が滲み出す様に、冴え渡った美の世界を出現させた。

【山上の楽園】
昼の最高潮の紅葉
10月24日 午前10時半
 夢のテラスに立った。切り立った崖、連なる山嶺。絶景に尽きる。
紅葉は今が盛り。ときめきの富士は最高潮の紅葉には峰の白雪が不可欠。しかし最高の条件はそう簡単に揃わない。だから何年も通う。

 激暑の夏、秋に向けてゆるやかな冷え込み、台風無通過、前日の新雪で峰に冠雪、紅葉の彩り最高潮、爽快な青空・・・。

 そう簡単に撮らせてはくれないからこそ挑戦は続く。写真は大手の新聞に載った。サラリーマンだった私を夢に向かって進ませてくれるエポックメーキングとなった写真がこの「山上の楽園」である。

【紅さす峰】
冬は紅富士
2月 早朝 忍野村より
 富士山に向かって東北東に位置する一帯を富士北麓という。
山中湖〜忍野村〜富士吉田〜河口湖あたりがこれにあたる。この一帯が富士五胡の中でも一番冷え込む。

 冬の零下10度は毎朝の事、地元の人にとっては慣れっこで暖かい朝。零下15度を超えると北麓らしさが増してくる。17度を過ぎるあたりから冬の風物詩の紅富士が出現する事がある。

 真冬の夜明け前に忍野八海から堂々たる雄姿の富士を観るのは気持ちがいい。冷えの強い朝は午前 6 時半を過ぎる頃から、富士の白雪がピンクに染まるのを観る事が出来る。

 私のイメージは紅の極みの色だ。やがて 7 時に近づく頃、峰の上空にピンクの帯が出て徐々に頂上に降りてくる。雲一つない晴天の朝は一段と冷え込むから期待が増す。

 そんな挑戦を数年繰り返して、冴え冴えとした色に染まった1枚の紅富士が出来る。雪のある七合目まで広がるのは数10秒。
その内極みの色は10秒ほどしかない。

 今朝は冷え込みと引き換えに深い色の紅富士になった。今ほど経済活動が活発ではなかった昔はもっと冷えた。鮮血の色の紅富士が出たという。だがそんなになると怖いかもしれない。
この色が親しみやすい。

 正面の大きな谷が<吉田大沢>。あの大沢の反対側の富士宮に<大沢崩れ>があり、数万年後に富士山は真っ二つに割れるかもしれない。負けるな富士山と言いたくなる。

 峰を中心に大きく構図したこの写真は。本の表紙にするとインパクトがある。鮮烈な紅紫の色は見る人の心に響く力がある。

【星降る夜に】
オリオンと交信
12月8日 本栖湖より
 冬の夜空は星座の王国だ。
ことに富士山の周りからは満天の光に囲まれて、美しさに吸い込まれる。子供の頃に覚えた冬の星座という歌を思い出す。

 そして、星座の下で野営する時は自分の生き方や、これまで支えてくれた周りの人達の温かさに思いを致す時でもある。酒に弱い私だが、星の下でやるのはブランデーに限る。

 辺りは無音である。
時々通り過ぎる車がいなくなると、一切の音が消える。それを感じて薄闇の空間に自分は溶け込んでいる。夜中が楽しい。眠りたくないのだ。

 夜空の星は地球の自転により時間と共にその位置が変って行く。星は1時間に約15度動く。だから長時間撮影でシャッターを開けておけば、目には見えない星の軌跡がフィルムの上に勝手に写る。雲が遮らず飛行機の飛ばない時間から撮影開始だ。

 夜景撮影は1秒以上の長時間撮影だから、フィルムが適正に色を再現する限界を超える。しかも富士山周辺の人工の光が空に反射して、フィルム上にはグリーンに写る。

 空気の澄み具合とグリーンの色のヌケは比例する。この夜は特に綺麗な空だった。三脚を立てて90分、1等星や2等星がフィルムの上に遊びに来た。

 富士山の白雪が見える。今はもう無くなった測候所が星の光を受けていた。夜間撮影をしながらイメージは宇宙に飛ばす。
そうするといつか必ず実現する。

 この夜、私はオリオン座と交信した。

【雲上の輝き】
燦然たる天空世界
8 月中旬 午前 7 時半 丸山林道より
 雲海の上は別世界だ。
車で林道を走り抜けて厚い雲の上に出れば必ず富士山が待っていてくれる。麓から頂上が見えない時はそうする。

 富士山を取り巻く里山の林道は、昔から何度も夜中から夜明けにかけて車で走った。そして富士山の上空に朝陽が輝く時間帯と場所を季節ごとに覚えて来た。それが私のDNA に刻み込まれている。

 夏の夜明は 4 時頃。この時期南アルプス山系の丸山林道から観れば、富士山の遥か左の裾から朝陽が顔を出す。今朝は厚い雲が頂上を隠していた。夜明けに空は赤く焼けなかった。

 次のチャンスは太陽が富士山の上空を通る7時半だ。季節と時間ごとに自分の立つ位置を見極めれば、毎日富士山の上空に朝陽が燦然と輝く天体ショーを観られる。

 7 時になった。厚かった雲は徐々に下に降りて富士山の姿が現れて来た。夜明けに稜線にいた太陽は刻々と弧を描いて山頂に近づいて行く。高度1,600m 。強烈な光を真正面に受けて厚いグレーの雲海の上に私は立っている。

 やがてその時が近づいた。撮影開始だ。太陽の動きは結構早い。富士山の頂上通過の瞬間を見極める。そして逆光を100%受け止めるからハレーションが出ないように画角に注意する。

 シャッターを押した時、太陽は八芒星になった。青と白だけの天上の世界。胸に言葉が響いた。志高く夢に向かって前に進め。行く手には光が待っているぞ。そう励まされた。

【 吉 兆・赤 富 士 】
8月1日 午前5時前 二合目より
かの北斎が見た赤富士はこれか
 赤富士。商売繁盛や心願成就、更には病気平癒を願い、多くの人は絵のイメージでそれを知っている。最も有名なのは江戸の浮世絵志葛飾北斎の「凱風快晴」だ。

 赤富士は現実に出現する。新盆から旧盆にかけての1ケ月間、運が良ければ会える。昔は麓からも見えた。北斎も観ていた。
そして数年に1度は鮮血の赤になる。

 夜中から薄雲がかかり山麓から富士は全く見えない。山の裾野だけが見えていた。やがて夜明けが近づく頃、雲間にチラチラと光が射すのが観えた。

 「上は焼ける !」。林道を15分駆け上った。運転しながら気が急く。一刻も速く。慎重に。的確に。午前4時半に二合目に到着して雲の上に出た。間に合った。晴れていた !

 三脚をセットする僅かな時間がもどかしい。4時50分、先ず山頂に第一の光が当たり徐々に巾を広げてゆく。

 赤い光の波長は長く青は短いから赤だけが遠くに届く。活火山の鉄分を含む山塊、夜間の雨と湿気、朝の冷え込み、その他にも様々な要素が一致した時に赤富士に逢う事が出来る。

 最高の赤い光は数秒のみである。それを見極める。見逃すと色は茶に偏り土の色を写してしまう。山頂の左上が黒くならない事、全体の色が渋く沈まない事が重要だ。

 私は月見草の群生の中に立った。中腹に見える光は山小屋と登山客のカメラのフラッシュである。皆「ご来光だー ! 」 と拝んだりバンザイしている様子を月見草のそばから観ている。

 鮮血の赤色に染まる富士山が出た。太陽は私の背面にある。
私には見えない自分の背中は今朝真っ赤に焼けていたに違いない。私は大気と調和し、溶け込んでいる事を実感した。

 古来幸運の象徴とされる赤富士、かの北斎が見た浮世絵の赤富士はこれか ....。 本物の光景。正に吉兆である。

【頂 天 世 界】
超古代、スメラミコトは天の鳥船に乗って世界を統率していたという。
6月中旬 忍野村より
 子供の頃に夢を見た。天の彼方に金の船がポツンと出て来た。
その船は幸せの波動に満ちて沢山の神様が乗っていた。見る間に大きくなりスーッと私の前に来て吉祥天女が降りて来た。船かと思ったのは金と白の雲、夢はそこで消えた。

 ずっとその夢を覚えていて、40代の後半にそれを現実に観る事が出来た。当時は未だ一介のサラリーマンで週末に富士山麓に行くのが楽しみだった。

 或る日の午後遅く、流れていく雲が山頂に寄って来る時に記憶が甦った。滅多に出さない超望遠レンズで、光を透過して黄金に輝く最高潮の一瞬を確実に収めた。

 それから10数年経ってこの話をしたら、「私、乗鞍でこの雲を見ました」という女性が現れて話は多いに盛り上がった。
雲はエネルギー体だという。時空を超えて天空を巡っているとなれば否定は出来ない。私の夢にまで出て来てくれたし。

 超古代の歴史に関する本を呼んでいたら、有史以前の遥かな昔にヤマトの国に存在し、スメラミコトが世界を巡っていた「あめのとりふね」という表記を見付けた。

 夢から始まり夢はどんどん広がって現実になっていく。
その船に乗って私は写真家になり、ときめきの富士の夢は世界を巡る。