ときめきの(70-79)作
(額はイメージです)
【月 夜 幻 想】
ハートの宇宙船がやってきた
2010年3月31日 午前2時40分  山中湖村平野浜より
 真夜中に山中湖の平野浜の一角に立った。

「今、視ているこの地点から一歩も動かずに満月の軌跡を 追おう」。

 直感した。この地点から視れば必ず2時間後に、お月さんは放物線を描く様に富士山の頂上に入って行く。これから真夜中の壮大な天体ショーに立ち会うのだ。

 無風だった。左の雲は空に浮かんだまま止まっていた。
湖の平野浜に着いたのが 2時20分、渚を歩きピンポイントの場所を決めて雲の右端の上に満月が来た時から撮影を開始した。
超広角レンズで視界の全てを受けとめよう。

 月光と月影だけが頼りだ。露出計を使わないマニュアル方式のカメラだから、私にとってはとてもありがたい。光をフィルムの上にどの程度取込んで記録するかは完全に自分次第だから。

 深夜、月光だけで心のイメージの彩りを再現するのだ。久し振りに胸が弾んだ。宇宙の営みに自らが溶け込んでいる歓びだ。
真夜中だが湖面も富士山の輪郭も微かに判る。

 そのまま写したのでは殆ど闇に近く月光だけが強調されるから、月の姿を半分に、露出時間を少し長めにした。そうする事で湖映の逆さ富士も、雪の斜面もギリギリ描写出来る。

 仕上がりを視て魂が震えた。
真夜中なのか、昼間なのか判らない世界に幻想が現実になっている。雲は満月の光をたっぷり浴びて、輪郭は彩雲を描き出した。富士山の右の雲は、昨夕に朝霧高原に湧いて、西から廻り込んできた雲だ。これもいい色になった。

 魂の次元へ。月よりの使者がハートの宇宙船で迎えにやって来た。この世とは思えない時空間が展開している。このシーンの前に立てた事に、無限の感謝と御役目の大切さを思う。

第80作の『パール・ブルームーン』が完成する2時間前だった。

【パール・ブルームーン】
ありえない事
2010年3月31日 午前4時38分 山中湖
 一般に富士山頂に太陽があるのをダイヤモンド富士と呼び、月があるのをパール富士と呼ぶ。

 月の満ち欠けは平均29.5日。太陽暦の1ヶ月に満たない為3~5年に一度、月の始めが満月で、月末にも満月という幸運が訪れる事がある。滅多に出逢えない事から、観ると幸せになる『ブルームーン』と呼ばれる。

 2010年は1月と3月がそうだった。元々は1940年代に発行された雑誌で誤記載されたらしく、どの辞書の中にも「ひと月に2回満月がある時の事」という記載は無い。

 大気中の塵の影響で稀に月が青く見える時がある。もっとリアルなのは火山の噴火や隕石の落下時に発生する、ガスや塵などの影響によって見える事があるらしいけれど、幸か不幸か私は遭遇していない。

 青い月を見る事は大変難しいから「極めて稀な事」、「 あり得ない事」の意味を指して使われる言葉となったという。 "once in a blue moon" という熟語は「特別な事」を指して使われる。なんてステキな響きだろう。

 その『ブルームーン』と『パール富士』を劇的に観ようと思った。しかも湖面の逆さ富士まで実現してみようと。通常の『パール富士』なら可能性はある。

 しかし、他の2つを組み合わせると、出逢う事自体が奇跡に近い。劇的に観るには逆さ富士がいい。そうすると場所は山中湖に絞られ、それこそ長い年月の中で一度出逢えるかどうかの奇跡の瞬間に立ち会う事になる。

 地球は左周りで横回転しながら太陽を廻り、月は同じ面を見せて右回転しながら地球を縦に廻っている。私が講師となって指導している富士写真家連盟の会員の中には、PCを駆使してその場所を割り出す人もいる。その貴重な情報も参考にした。
あとは経験と読みとの足し算で立つ位置を決めて行く。

 今回の絶対イメージは3つ、それを達成する条件は五つだ。

ブルームーン x パール富士 x 逆さ富士
            = ダブル・パール・ブルームーン

 チャンスは夜中から明け方の山中湖のみ、午前 2 時 40分から渚の一角で富士山い狙いを定め角度を固定した。その時に月は左上の雲の上にあった。地表も中空も無風で雲は朝までずっとあの場所に留まっていた。

 あの天空の雲は動かなかったが、中空の雲はゆっくりと流れていた。ずっと月と富士山を見つめて凍てつく早春の湖の渚に立っていると、自分が宇宙に溶け込んでいるのが分る。撮っているのではなく、お役目を果たしている歓びと感謝と調和の愛に包まれる。

 夜明前、想いは通じた。全ての条件に恵まれた。
2時40分にあの雲の上にいた満月は、2時間かけて放射状に弧を描き、4時40分に富士山に着いて、今から頂上に入る間際の神秘的な輝きに包まれた光景を観せてくれた。

【凱 風 快 空】
空に生まれるフェニックス
7月20日 午前5時半 二合目より
 山腹で雲の行方を観ているのが好きだ。夏の朝は二合目にいる事が多い。午前4時半。空に出ていた星が姿を消して朝への切り替えが始まる時。峰はまだ沈んだ深茶色で佇んでいる。

 やがて4時50分には頂上に赤い光が届く。そして辺り一帯に光が廻って行く。数分後、峰も山腹も森も皆赤い光に染まる。
この赤色にも純度の差がある。

 運が良ければ峰が鮮血の色の赤富士になる事があるがそれは1年に数回のみだ。しかし真っ赤な頂だけがいいとは言えず、その朝ごとの山と空の色変化を楽しむ事にしている。一つとして同じものが無いから。

 午前5時を過ぎて、赤富士のピークが終った後には空の劇場がオープンする。木々は全身に朝の光を受けて緑が冴え、まだ色が残っている富士の峰と、陽が射すに連れて広がる青空と、風が舞い上がって生み出される雲たちと競演を始める。風と雲とのせめぎ合い。誕生間もない鳥は翼を広げて空に躍る。

 富士吉田に「山のアトリエ」を造ってから2年が経った。
1階の立石茶屋さんのうどんが地域でもダントツに美味しいから、県外からやって来るお客さんが引きも切らない。そして自由に2階に上がって頂いて和風モダンな空間で寛いで頂く。お客様の感想を聞く度に造って善かったと思う。

 その「山のアトリエ」から二合目までは車で15分、近くには諸願成就で霊験あらたかな「新屋(あらや)山神社奥宮」がある。
天地が光の柱で繋がる場所は林道の小道を10分歩けば到達する。
北斎さん、一文字違いの作品が出来たよ。

【情 熱 の 朝】

8月16日 午前5時 二合目より
 どうやら私は赤富士にとっても好かれているらしい。
夏の朝に日を決めてそこに行く度に、次々と斬新な光景になって見せてくれる。

 赤富士は夏の朝の奇跡。気象を読み天気を友達にして通い続けると、時として想像を超えたシーンに遭遇する事がある。それは数年に一度。雨が上がり晴れに切り替わる朝の一瞬。しかもそのクライマックスは数秒間。

 この朝、山を覆っていた雲は夜明と共に山の上空に移動した。
富士山の稜線の形に沿って左の端から少しずつ浮き上がり、山頂で大きくカーブを描いてゆく。

 そして今度は雲の回廊を能役者が通る様に別の雲が入って来た。
それはまるで光を受けてクルクルと回る天使達かペガサスの翼だ。
何だろう、どこか遠い所からこの朝目がけてやって来たか。朝陽は強烈なスポットライトを当てた。

 時は東日本大震災から1年5ヶ月が経過したお盆の中日。

 強烈に赤いこの写真は赤富士を探し求めていた人に極めて人気を戴いている。又、人を癒す仕事をしている方や子供達に人気がある赤富士となって今日も光を放っている。

【朝焼け演舞】

2010年10月2日 午前五時半  身延山
 最近、大きな朝焼けを観ていないから天気の回復する日を選んで雲海の上に出ようと思った。富士山麓の平地にいたのでは空の焼けに出会うチャンスは激減する。それは暖かい大気の中を通る光を、暖かい平地から見ているからだ。

 自分が立つ場所から富士山の背景までに1カ所冷たい大気が有れば空の色は赤くなる。富士山頂からご来光を観るのと同じ原理だ。麓では大した色が付かなかったのに、山頂から観たら真っ赤だったという事になる。

 丁度夜明けの太陽と富士山と自分が一直線になる地点があった。身延山のロープウエイの終点の見晴台だ。高度は1,200m以上、これなら雲海の上に出られる。下の大気を遮った雲海の上は当然ながら寒い。わくわくした予想は現実の姿になって現れた。

 太陽が正面だから空全体が焼ける。昨日までの曇天の雲は眼下に伏して富士の聳えを迎える。その雲海も空の色を受けた。
染まり初めから最高潮の彩りへ、そして残彩の空へと天体ショーは10分ほど続いた。あの雲海の下には富士川が流れている。
川の水蒸気が雲海の発生を助ける。

 そして午前6時を廻る頃に頂上から太陽が顔を出す。この日は6時が近づくに連れて、雲海が上昇しその時刻には富士を隠してしまった。沢山の参拝客は朝焼けに心を打たれず、頂上に太陽の出る瞬間を目指して登って来たから「あ=あ」とため息が漏れた。

 私はこのシーンに出会えたのも予想通りで嬉しかった。頂上の日の出はまたいつかの時に。それよりも移ろいゆく彩りの一瞬一瞬に心が弾む。これからどんどん冷え込む季節だ。一年で最も好きな季節がやってくる。

【時 の 彩 り】
麗しき紫の空と富士の曙
1月11日 早朝 河口湖大石浜より
 大好きな場所が有る。
 冬、山のアトリエに行った翌朝はここで空の変化を眺めている事が多い。裾野を長く伸ばし湖に自らの姿を映し、右肘には里山を配した山容を観ていると心が澄んで来る。

 河口湖ではどの季節でも頂上の朝陽を観る事は出来ない。
それは湖の位置が真北に有る為、冬至に朝陽が東南東に移るから。当然ながら夕陽も頂上には来ない。

 だがここには大きな空が有る。早朝の空は温度の変化が激しいから次から次へと雲が湧き形を変えて流れて行く。その移ろいを斜光の朝陽が照らす。移ろい行く一瞬にこそときめきが有る。

 紫は心に響く頂点の色。頭のてっぺんに天からメッセージが降りてくる様な一瞬が有る。今朝、色の極みの中にいた。
格調香る光景が広がって行く。

 ときめきの色は紫。時の色...、時の彩り…..。

 作品を大きくプリントしたら胸にジワーッと情感が伝わって来た。ある日、この作品に旋律を感じるという女性がサロンにおいでになった。

 ご自宅の一角に小さなコンサートホールを作り、そこに飾ってくださるという。時の彩りは時の調べにもなった。

【紫 雲 界】
輝心調天
6月下旬 夜明 安倍峠
 一面が曇り空でも雲海の上に出れば違う世界に逢える。
だから壁を超えて視点を変えよう。物事は多面性に満ちている。
それは全ての事に通じる真理だ。

 雲の上は晴れている。晴れの空が少なく厚い雲であっても太陽の熱を受けて中空に対流が生じる。だから可能性を信じて雲上に出る。雲の下にいれば動きと想像力は限られるから。

 好きなシーンのイメージが有る。
 厚い雲を開けて空が観え始め、朝陽が射して空と雲を彩る姿。
それはいつも初めて観る光と陰のグラデーションだ。梅雨のグレーの雲は往々にして紫色に染まる。

 朝陽を受けた雲は特に速く、そして刻々と動くからチャンスは一瞬だ。それを信じてその場に立つのが私のときめきになっている。

 富士山の西部、静岡県境に近い安倍峠に来た。私がサラリーマンだった頃、紅葉の最盛期に三脚が一杯で入れてもらえず、皆の後ろに脚立を立てて2.5mの高さから撮影し、その写真が新聞に載りプロになる事を決意した運命の場所。ちょうど今は朝陽が真横から当たる位置になる。

 だから敢えて条件の良くない時期にここに来た。雲の壁を朝陽の力で真横から切り裂くと確信したから。きっとそれは僅かの時間だろう。誰もいない林道に立ち、雲の流れを観ていた。

 日の出の時間を10分過ぎた。雲の向こうに赤味が射し、シーンの幕が開く予感に胸が高まった。幕が開き始めた時に目の前の雲が小さな固まりになって飛び散った。

 そして小さな雲は無数の手になって厚い雲を上下に押し分けた。雲のカーテンが開くと共に主役が光り輝いて登場した。観えて来たのは新しい世界。それは4秒間のドラマだった。

 今朝また未知のシーンの前に呼ばれた。
沢山の人の心に響けと、富士山が雲の中から美の極みになった。
それは光と陰が綾なす、薄紅から紫へのグラデーションのときめきの富士。

【天空の扉】
荘厳たる夜明けの世界
2月 夜明前 八ヶ岳山麓より
 冬になるとあちこちの林道が閉鎖される。そして撮影する場所が限られ、平野からの撮影が中心となる。しかし高い場所から天空の富士を観たい衝動を抑えきれない。発想を逆にしてみた。冬だからこそ歓迎してくれる場所は無いか・・・。

 有った。スキー場なら歓迎してくれる。雪が降れば直ぐに除雪車が出て道を整備してくれるから、苦労が少なくて高い地点まで行ける。それを知ってからここ数年は八ヶ岳山麓に駆けつける頻度が高くなった。

 東京から夜中に中央道を飛ばして140kmを走る。時には富士吉田の「山のアトリエ」を拠点にして向かう。深夜に富士山に背を向けて遠い地点まで行くのは楽しみでもある。

 夜明の1時間前に心に描いたシーンの前に立つのは変らない私のスタイルだ。八ヶ岳の山麓はとても冷え込むからワクワクして来る。八ヶ岳山麓から富士山までは100kmの距離だ。

 この100kmがときめきの富士には必要となる。
近年、地球温暖化が加速して富士五湖周辺では冬と言えども壮大な朝焼けに出逢う事は稀である。

 本来一日で一番気温が下がる筈の夜中から夜明にかけても夕方の気温が続いているから、冬の早朝は似た様なぼやっとした空になってしまう。撮影の確率が減るから私は遠く厳しい地点を目指す。

 山麓の富士五湖周辺でぼやっとした暖色の空であっても、距離が離れることによって、空の色の薄い膜が何層にも重なるから遠くから観れば濃い空の色になる。

 しかも暖かい富士山周辺の空の雲や水蒸気が凝縮されて、冷え込んだ八ヶ岳山麓の大気と混ざるから、色は不可思議の様相を出すことが有る。

 それは気象と天気の動く前後に限られる。
その一瞬が待っていた。今朝、あの空を切り裂いて金の帯が出た。天空の扉が開いて荘厳たる富士が迎えてくれた。
新たな気持ちでまだ見ぬ世界の扉を開けよう! 
そんな声が聞こえた夜明前の数秒だった。

【虹の赤富士】
心を映す夏の空
8月8日 午前5時 二合目より
 富士吉田の北口本宮浅間神社は霊験あらたかな由緒ある神社、この横に二合目に続く道が伸びている。近くには新屋山神社の本宮が有り、運気上昇を求めて全国から参詣客が増加している。

 この道を二合目まで登って行くと、新屋山神社の奥宮に到る。
そこから林道に入る。山歩きの人以外には知られていない場所は宇宙と一体になって繋がる地点で、私は富士吉田に行く度にここで瞑想していた。

 富士山が目の前に迫る絶景の場所だが、作品作りが極めて難しい。だがここに来ると心身開放されて体の底からエネルギーが立ち上がる。

 ここからの赤富士を撮りたかった。虹の富士山を撮りたかった。中々天気の条件が合わず、早朝にここに来る事は少なかったが、この日は予感があった。夏なのに少し冷え込んだ。
夜半の小雨の湿気が残っていた。

 そして出逢った。赤い色は長く続いたが最高潮は僅かの時間、それは鮮血の色と言われる。今朝私は富士山から「大丈夫だ!
心のときめきはこれからどんどん絵になるぞ」と言われた。

 虹の赤富士、これから勢いを持って世の中に広まって行く確信が有る。心はシーンを呼び、シーンは私を待っている。
感謝結実無限大

【スノーダスト】
この日を待っていた
1月24日 午前8時半 富士見孝徳公園
 2012年1月の中旬は大寒波の襲来となった。寒波は昨年も襲来したが富士山麓には大きな影響をもたらさなかった。
私が富士北麓で大雪に遭遇したのはそれこそ15年ぶりだ。

 上空の寒波と気圧のエネルギーはいつ富士北麓まで押し寄せて、いつ東京を出発すれば良いかを見極めていた。23日の午後に五反田を出た。今夜は「山のアトリエ」に泊まろう。

 富士吉田の街外れ、富士山麓の一合目にある「山のアトリエ」は今夜は思い切り冷える。夕方に着いた時は外も部屋の中も -8°だった。夜半から雪の降りが激しくなった。

 午前2時、窓から見ると愛車MPVにかなりの積雪がある。
希望の朝がやってくるぞ。ワクワクして来た。午前4時半に起きた。外は -11°。一面 15cm以上の積雪だ。

 雪はやんでいる。空には星が見えた。絶好の条件だ。午前5時半、最初は河口湖の街を見下ろす「みさか道」で雪景色を堪能した。そして午前8時にこの見晴し台に来れた。

 途中で車での走行が無理と判断し、中腹にある渡邊造園さんの庭に車を置かせて貰い、機材一式を担いで一歩ずつ山道を登り、ここに着いた時にはうっすらと汗をかいていた。

 今走って来た富士吉田の街が見える。陽光に輝く屋根の雪、山旗雲の湧く時間、梢の作る窓から見える富士の姿は美しい。

 枝の雪は朝陽にくすぐられて落下する時間だ。雪の中、桜が舞う。ざざっと私の全身に落ちてくる。よー来た、よー来たと歓迎されて夢中でシーンを受けとめている。

 時ぞ今なり。絶景雪景色。