ときめきの(60-69)作
(額はイメージです)
【天 翔 雲】
全ては一つ 一つは全て
6月10日 午前7時 清水吉原
 これまでのときめきの富士とは別次元の作品が生まれ始めている。それは数年前から感じていた。色や構図ではなく視界全体に映る世界が何かを凝縮して伝えに来ていると感じていた。

 それを感じたのは第45作の【満天の流星】で宇宙のメッセージをを受け止めた時、そして第52作の【時空無境】で天地境目の無い世界を観た時に確信した。

 地球が新たな次元に入って行く時が来ているという。世界中で混沌の現象が起きているのは変化の前兆。私は大気が変わっているのを明確に感じていた。それはときめきの富士の写真には必ず写る。

 今年の梅雨は長かった。だから数少ない晴れ間を鋭敏にキャッチして、閃いたた場所に逢いに行った。或る夜、弟子から明朝ここへ行きませんか?と電話があった。

 梅雨の晴れ間には、ここに行こうと私がイメージしていた所だった。処がその人は来れなかった。直前に気が変わったらしい。地元の箱根に行った。

 夜が明けて数時間経ってから壮大な雲が空に広がった。梅雨の晴れ間だが雲は空の殆どを覆っていた。空全体が巨大な翼に観える。刻々と動く姿は「いのちの空」だ。

 峰の頂上を目指し鳳凰も水神も龍神も無数に集ってきた。
一つとして同じ姿は無い。しかし全ては一つだ。よし!空の全てを写そう。超広角レンズセットした。私の左右の耳の延長線まで水平に。頭頂部直角の空までを受け止めよう。

 数年前、自分が生きていた世界で身ぐるみ剥がされた。意地やこだわりや狭量や日常の俗っぽいものに、侵されながら突っ走っていて、気が付いた時には思い切り地面に叩きつけられた。

 「そこまで行かないとお前は気付かない」と言われた気がした。 “自分の強かった裏返しの弱さ” を始めて知ってから自らを変えた。その経験も含め起きている事との全てに有り難いと感じる事が出来る。あの挫折が有るから今がある。

 尊敬するある人から言われた事がある。
「自分の心のレベル=波動が上がると、作品全てにその波動が伝わるんだよ。作品を持っている人にまで良い波動が伝わってその人にも良い結果をもたらす事が出来る」と。

 その言葉を励みにして、毎日関わる人達の光の輝きをイメージして、思い通りに愉しく生かされている自分がある。

 新しい世界の扉が開く。天空の劇場はこれから始まる様々な世界のエネルギーを、ときめきの富士に変えて観せてくれる。
今朝確信した。

【黎明・紫の夜明】
ときめきの色と空へ
2月 夜明 河口湖大石地区
 今年はときめきの富士に沢山出逢える予感がある。暖冬で雪も少ないし朝も冷え込まないから、空が赤く焼ける頻度は激減しているが、移ろい行く時の流れの中で、心ときめく一瞬を確実に受けとめる事は、揺るぎない確信としてもう出来ている。

 私には天気の変り目に、富士山が顔を出す時間帯と場所の情報が空から心に届く。ここでは私だけの天気予報が冴えまくる。
この快感は何事にも代え難い。

 また思い立って夜中に出かけた。夜明を見ようと思った場所には1時間前に着く。富士山の微かなシルエットが刻々とコントラストを強くして、空の脈動と呼応するのを全身で受けとめている。

 人に訊かれても、何故数日後の富士山の周りの空を読み切れるのかは説明が付かない。あ、3日後だな。と東京で直感した通りの天気になった。今朝は荒れ模様で山も見えない予報だったが、紫の色が長い時間続いた究極の世界だった。

 私の色「ときめきの紫」である。
手前に青木ヶ原樹海が帯の様に伸びて湖の岸辺が弓形に曲っている。作画するには画面全部が色で満たされる時でなけばならない。この画面構成で決まった。

 自分の呼吸と大気が調和してゆく。今の空の色の後、次に出る色が鮮やかに脳裏に描かれる。今観ている世界は木花開耶姫の波動に満ちる。私の最も美しいその姿を観せてくれた。

 冬なのに大気が極めて暖かい。地球が危機的状況に至りつつある。劇的な空に逢えなくなる頻度は今後加速化する。だからもっと心を空にして山の呼ぶ声に耳を澄まそう。

 大きくダイナミックな事よりも、日常の移ろい行く小さな事を大切にして行こう。そう心に響いた。

【光明】
陽はまた昇る
11月下旬 午前 8 時 櫛形林道
 深い山の林道から雲上に輝く太陽を観た。山中で夜明を迎え雲海で遮られて太陽が観えない時は、時間に合わせて林道を横に走る。南アルプスの外れ、山梨県側の林道は雲の動きを観ながら、朝陽と富士山を受けとめられる絶好のポイントだ。

 雨に変る気配さえ無ければ、日昇と共に大気の温度が変り頂上付近の雲は脈動する。厚い雲が何処で上下に分かれてカーテンを開けるかを予測して、林道を走るのは楽しいものだ。走っていると気流を感じる。

 谷の雲海は所によっては霧に変わって行く。冬の夜明は7時頃、それから1時間かけて太陽は頂上に近づいて来る。雲が厚くても時々光が透ける時がある。ここは富士山から西北に当たる場所、いつも身近な斜面や谷越しの山々を観れば、顔を出す富士山の位置はおおよそ見当が付く。

 林道の大きなカーブに車を停めた。雲が分かれ始めた。一気に上下に分かれる事は無い。湧き、流れ、少しだけ空を見せ、また隠しという現象を絶えず繰り返しながら空を見せ始める。
富士山の峰も見えたり隠れたりという連続だ。

 ここで決めるか、他へ移動するかも判断せねばならない。しかし移動したら完全に雲に隠れたという事も有りうる。目を凝らし動きを読む。それは最大の姿と光を収める事だ。静かな緊張と確実な手応えを感じてシャッターを押してゆく。

 マニュアルのカメラだし、連射はしないから自らの " 感じるチカラ” だけが全てだ。朝陽は輝きを増した。燦然と放たれる光はここまで来た者に無限に与えられる。心に描いて確信して揺るぎない希望は必ず目の前に顕れる。

 今朝は「壁の向こうのシーンを視よ!」と教えられた光明の曙になった。どんな事があっても夜明がやってくる。だから壁を越えよう。山を乗り越えてその先にある未知の世界を見よう。
明日は今日から、昨日から、ずっと前から始まっているのだから。命を吹き込む朝が来た。

【富士のまほろば】
大いなるもの
7月 午前 7 時 山伏峠
 富士山の西、山梨県と静岡県の境に在る絶景の場所は夏でも寒い。天気に恵まれれば劇的なシーンに会える確率が高いので、東北部の三つ峠と共に人気がある場所だ。

 しかも 40 分足らずで峠に立てるし山道も緩やかだ。今朝は前夜から登りワクワクする心で夜明を待った。朝の冷えが予感され夏なのに冬装備だ。この時期は登山者も多い。

 未明に峠に着いたら随分沢山の人のシルエットに遭遇した。
みんな日の出の一瞬を心に描いて登って来た。しかし夜明と共にガスが湧き出して朝焼けは出ず、多くの人が下山した。

 私は朝焼けも大切だが、陽が昇れば得難い時の移ろいの一瞬に逢える気がして、夜中から初めて腰を下ろしゆっくりと朝食を摂った。予感は只一つ、日昇と共にガスが引いて下に溜り、
夜明に出なかった色がこれから姿を現す事だ。

 それは確信に近いイメージだった。その確信は大気の温度と空の色の変り方を感じる事のみ。心身を大気に溶け込ませると感性は冴える。魂が喜ぶ。

 順々に移ろい行く色の変化は、一つ一つのシーンがカンタータを歌っている様だ。午前 7 時を過ぎた。今朝初めて空が赤くなった。通常夜明から 2時間を過ぎて、つまり陽が昇って暫くしてから空が赤く色づく事は無い。不思議な事が起きている。

 確信のイメージに今私は立っている。
ヤマトタケルが伊吹山で詠んだ「やまとは國のまほろば・・」。
まほろばとは秀でたもの、強きもの、礎、母なる大地。かねてから心に残っていた言葉に今朝いのちが吹き込まれた。

【紅 燃 ゆ る】
夜明けの茜色
10 月下旬 丸山林道より
 秋の楽しみは空と雲の色。より濃い朝焼けを観る為に富士山から30km以上離れた、南アルプスの外れに繋がる高度1.500m以上の山中で夜明けを迎える。

 背中でカサコソと音がした。どうやら数匹の猿が私の立っている背中を見ているらしい。

 「そっと見てるんだよ。騒ぐんじゃないよ。」
そう優しく言うと伝わる。誰も見た事のない、私がときめきの富士をフィルムに納める瞬間を彼らも一緒に見ている。

 カラ松は数日前に盛りを過ぎた。これから暫くの間は、晩秋から初冬へと季節が移ろってゆくのを体感する楽しみがある。
空の大気が冷えるに従い色は濃くなる。

 この作品は谷から湧き上がる靄と富士の山肌、刻々と変わりゆく色変化。更に空と雲のグラデーションが美しい。谷の靄は徐々に赤みを失って茶色になり、陽が中空に昇る頃には白い雲になって山肌に遊ぶ。

 全てが静まる深夜を過ぎ、未明、微かな地平線に夜明けの予感を告げる暁、その光が広がってゆく夜明け直前の黎明、そして劇的な夜明けへと向かう一連の時の流れ。やがて眠っていたものが目覚め、万物の命が立ち上がる朝が来る。

 息を詰めて時の移ろいを深い山中で受けとめると、心身は大気に同化して、それこそ微かな空の変化までも細胞に染み込ませる事が出来る。感性と感覚は自然に鋭敏になってゆく。

 ここにときめきが潜んでいる。それは刹那の一瞬に存在する。
凄い富士山を撮ってやろうと思う人達の眼には見えない。今朝一段と美しい姫様に逢えて幸せだった。

【昇 雲】
竜が天に昇る
初夏 富士北麓より
 富嶽三十六景を描いた葛飾北斎。晩年 90 歳の頃に長野県で描いた浮世絵がある。それは彼の最後の画業となった。昔、山梨県 の富士北麓 ( 山中湖~忍野村~富士吉田~河口湖一帯)に居た頃をも回想して富士百景を描いていた。

 富嶽三十六景では彼が観て感じた富士山のエネルギーの大きさを表現しきれなかったのだろう。富士山は観る人に様々な衝撃を与える。特に北斎翁は自らを画狂老人と呼んだほど想像力を発揮した。

 そして翁が富士山に立ち昇る雲の中に、昇龍を観て一気に描き上げたのが富士越龍図。以前、小布施の北斎館で観て来た。;観て来た。
私はずっとこのイメージを心の中に描いていた。いつか出ると。

 ある時、朝の清冽な空気の中で、紺碧に抜け切った空に雲が立ち昇る気配を感じ、たった1枚だけシャッターを切った。
それは奇しくも同じ山梨県の富士北麓。

 まさしく雲が龍になって昇って行く。富士が狼煙を上げている様だ。心に描いたシーンは必ず出現する。宇宙に時系列は無く、シンクロが存在する。つまり彼の筆先に私が、シャッターを押す私の指先に彼が居たのだ。

 北斎さんありがとう。私も観たよ。


【瑞樹 (みずき) 輝き】
プリマドンナ フジと競演
5月 午前 6 時 朝霧高原 東京農大農場
 いつの季節も早朝は清々しい。凛とした空気を富士山をテーマに、どう表現するかを考える時間は至福の時である。これまでに五感で受け止めて来た数々の シーンが頭をよぎる。

 同じ朝はない事が分っているから、出かける時は 第六感に任せて未知のシーンに逢えるときめきに満たされる。

「そうだ、朝日を受けた水玉と朝露に濡れる草原で絵作りをしてみよう。」

 瑞々しい時期は? どの草原で? 太陽は何時頃昇る? 
その時に山肌はどんな色で? 天気はいつ変わるか? その雨は夜中に上がるか? そして時には雲の演出する姿まで心に描き切ってピンポイントの地点に立つ。

 毎日、少しずつ角度を変る太陽の位置を読んで。
朝霧高原には沢山の牧場が点在し、夜明けを迎えるには絶好の場所が無数に在る。

 農場の樹は富士山と競演するプリマドンナ。幹の周りには宿り木だろうか。逆光を受けて一番輝く瞬間を待っている。 雲は刻々と湧いて流れてゆく。

 爽快な風が渡る。富士の頂きは雲に溶けかかり、もう天空で異次元に行っちゃってる様だ。宿り木の葉と水滴が輝いた。
光はどでかいハレーションとなって入り込んだ。

 今だ! 全ての命がカンタータを歌っている。

【光 の 華】
光の音が聞こえる
3月上旬 朝霧高原 富士ヶ嶺
 静岡県富士宮市の朝霧高原は富士山の西側、静岡県と山梨県が接する広大な一角にある。高原牧場のイメージが定着して全国から多くの方が訪れる観光地となった。

 ここが歴史に登場する有名な出来事の一つに源頼朝が 1193年( 建久 4 年 ) に行った富士の巻狩りがある。富士山麓の雄大な原野の中でさぞや勇壮な狩りであっただろう。今では馬に変えて車が行き交う。

 戦後長野県などから開拓団が入植し本格的に開発される様になった。原野の開拓は現代では想像もできない程厳しい暮らしだった。水の確保と溶岩台地の開墾、文化から遠く離れ国や県からの支援も極めて乏しい中、筆舌に尽くし難い極貧の生活と季節の中で、希望を持って 30年の開墾を続けて来られた。

 その方達の絶え間ない努力のお陰で、現在富士山周辺の酪農地の代表格となり、1954年には国から「高度集約酪農地域」の指定を受けるまでになった。今では広々とした農場と牧場のあちこちに乳牛が放たれて、のどかな美しい景色を満喫出来る。
ボーイスカウトのメッカにもなっている。

 この高原に撮影に来る度に、先人達の御苦労が忍ばれ感謝の気持ちでいっぱいになる。4月の春、5月の初夏は牧場の緑が 一段と美しい。その1〜2ヶ月前はこの地域は早春の大気に包まれて三寒四温を繰り返しながら盛りの春を待っている。

 近年は春に雪が降る。私は雪が降ってから数日経った後の急激 に冷え込んだ朝を待っていた。富士ヶ嶺地域に有名な二本の木がある。条件に合う朝がやって来た。今年 2 度目の降雪、まだ 芽を出さない牧場の草の上に雪が積もった。晴天寒冷の朝、牧 場は予想通り氷結の絨毯になっていた。

 何人かのアマチュアカメラマンがいた。アマチュアは経験が少ない為に想像力に欠ける行動をする事がある。新雪を踏んで景色の先端に出ようとするなどはその典型だ。大声で

「牧場に入らないで!」、「雪を踏まないで!」と声をかけて協力をお願いした。

太陽が昇って来る。左側の木に朝陽が絡んで幹の上部に入った時に、木の影が雪原で美しいダンスを踊ってくれた。呼応する様に山頂の雪煙が光を受けて舞った。

 こんな美しい高原で心ゆくまで撮影出来るのも代々のこの地の人々のお陰だ。朝霧高原牛乳は美味で人気が高い。人々の思いと丹精、富士山の恵み、当然の帰結である。そして「光の華」は麗しの雪景色となって完成した。

【群青の空】
雪は上がった
2月14日 午前7時20分 二合目より
 静岡県の御殿場から車で行ける二合目の水ヶ塚公園は、真冬でも絶景に浸れる数少ない場所。タイヤだけは冬仕様にしておかねば絶対に無理だが、行けば至福の時が訪れる。

 麓がすっきりしない時は私はここに行く。大雪以外は林道閉鎖が無いからだ。そして刻々と動いて行く雲を夜明前から日昇の時までじっと観ている。

 雲の流れは結構早く、まるで富士の峰が寒い朝に「はーっ」と息を吐いているかの如くに、湧いては消え、湧いては消えして流れて行く。

 夜中まで晴れていた。第25作の『紅富士』に出合った10年前は -20℃だったが、地球温暖化の進行が早い為、2月でも気温は-7℃にしかならなかった。これでは紅富士は出現しない。
こんな時は夜明の後の雲の変化を楽しむのだ。

 やがて陽が昇り、気温の上昇に伴い風が起き、雲が動き始めた。いつも思う。雲達は生きているんだなと。広角レンズ1本だけにして、嶺の周りに雲が離れ抜ける様な青空が見える時だけを狙った。

 バレンタインの朝、幸せのブルーと昨夜の冠雪が爽快なシーンを見せてくれた。

【爛 漫 の 春】
絢爛の花舞台
4月中旬 富士宮市
 冬から春へ。富士山が最も美しい姿を見せる季節の到来だ。
一年で最も空が澄む季節にあちこちで桜が開花する。富士山麓では約2ヶ月にわたってヒガンザクラ、山桜、ソメイヨシノ、八重桜と咲き移って行く。そして体がウズウズして居ても立ってもいられなくなる。

 私はこの時期になると福井県で生まれ育った子供時代を思い出す。福井市の中央には足羽川が流れ、四月の上旬にはそれはそれは豪華な2.2kmも続く桜のトンネルが出来上がる。

 枝には提灯が吊られ、名物の木の芽田楽の薫りが漂い、近くの足羽山は緑の山腹に薄紅の桜が群生して人々を誘なう。足羽川の堤防の桜は桜百選で日本一にもなった事がある。心の中にはいつもこの桜が咲いていた。

 桜は寒い冬を越す事で蕾が勢い良く開花する。毎年、季節の細やかな変化で咲く時期が変わるから、感覚は研ぎすましている。冷え込んだ後、快晴で、かつ空と花と光が最高潮の時にその場所に立つ事だ。

 心の中に咲いていた豪華な桜の園を富士山麓に見つけた。
この画面に入り切れない樹々達が今を盛りと色を競い、青空に映えている。ぽっかり空いた青空に、ようやく白雪の富士の峰を入れられる場所があった。幸いにもその下は緑の草が広がり、ピンクの色を一層引き立ててくれている。

 日本人が際立って心ときめくのは富士山と桜。それは季節に関係なく明るい雰囲気を創る。心が明るくなると場が良くなる。
そして善い波動を呼び起こすのを古来から皆が知っている。

 心弾む待ちかねた春、誰でも子供の頃に野山で遊んでいた頃の景色は色褪せない。最高潮の富士と桜の響宴を目の前にして、日本人として生まれて良かったなあと感じ、自然と共生して行こうと思う。