ときめきの(40-49)作
(額はイメージです)
【夜明の交信】
ISSの通信衛星
9月26日午前5時半 丸山林道
 この日を忘れない。
台風が去った前夜に数年に一度の絶好の気圧配置になった。
前線は日本列島に並行する様に太平洋上に並んだ。そして南アルプスの外れの一番好きな林道に陣取った。

 作夜半から峠に立ったままだ。
私が最も愛する時がある。夜が終り朝に切り替わる刹那の瞬間だ。1枚の写真に時の流れまで写し込めたら「ときめきの富士」が完成する。

 その思いを実現出来る朝がやってきた。 山あいの雲海が引いて、まだ眠っている山峡の町の明りが見えた頃、遥かな稜線に紅の色がついた。

 流れてゆく。天空の雲に彩りが来て時が移ってゆく。かってこれ程刻々と変化し心ときめいた日は無かった。

  その時だった。
 「お早う」と左上空にISSの通信衛星が飛び込んで来た。

 夜が明けて行く。遙かな稜線に光が来た。空の雲がその色を受けて刻々と変化してゆく。クライマックスの瞬間まで劇的に変わっていく色を観ていた。未明から暁にかけて吸い込まれる様な、紺青と紫の神秘の色も全て細胞に刻みフィルムに収めた。

 一連で観て来た色はこの一瞬に至る為の必然だった。空の雲は今こそとばかり躍動して朝陽を受ける。台風の後気温が下がり上空には風も残って、空が彩られた。時の流れが写った。

 まだ眠っている麓の街の灯りが雲海のベールを透かして輝いている。現代の浮世絵、出来た。

【天 地 創 造】
宇宙の声
9月26日午前5時40分 丸山林道
 呼吸を整えてその瞬間を待っている。私の丹田から大地の中心核に向かって長く息を吐く。大地の中心核からマグマが沸き出して、いのちのエネルギーが立ち上がり足下から体全体に回る。
それを丹田に溜める。

 そして紅蓮の炎は頭頂から出て宇宙の彼方に至る。そこは智恵の泉、銀河を超え宇宙の先のその先の根源に私の思いは届く。靄の中から青白い光が宇宙を走り私の頭頂に入った。体全体を包んでゆく。心は金の光に充ち、細胞は無限のエネルギーに融けて智恵と調和に染まる。光は丹田に納まった。今私は融合した。

 足下からは命を、頭頂からは智恵と無限エネルギーを受けて丹田に宇宙をつくる。いつも夜明けを待つ時に自然な動きでこんな呼吸とイメージをしている。

 台風の後、風雨の大掃除の後は得難い空に会える。この夜から翌朝まで緊張は途切れる事無く心はときめいていた。

 稜線が黄金に輝いた時、全ての光を余すところなく雲が受けて燃え盛った。光と風と色の饗宴は数分に及び、立っている私まで朱に染まった。グオーン、グオーンと空鳴りが聞こえる。息遣いをしている富士山がこの空を連れてきた。

【情念の空】
 
 そのとき、空に竜が飛んだ。この日この場所にいて、このシーンに出逢った幸せ、この臨場感を、風を、温度を、朝の匂いをあなたに届ける事。それが私のお役目だ。
生かされている事に感謝の日々である。

【宇宙光韻】
「かぎろひ」を観た
9月26日 午前5時過ぎ 丸山林道
 東(ひむがし)の 野に陽炎(かぎろひ)の立つ見えて
(反見)かへりみすれば 月西渡(かたぶきぬ)

 万葉集にある柿本人麻呂が詠んだ歌。草壁皇子は政争の中で非業の死を遂げた。父を偲ぶ文武天皇のお供をして人麻呂は奈良の阿騎野に旅をした。

 草壁皇子の面影を求めて、翌朝の夜明前の草原で逍遙していた時に、東の空に陽炎のような暁の光のみなぎりを観た。
その時、背後から皇子に呼ばれた様な衝撃を受けて振り返ると西の空に満月が落ちかかっていた。

 梅原猛さんの「水底の歌」、安藤義信さんのHPで詳細を知ってからずっと『かぎろひ』という言葉が印象に残っていた。

 『ときめきの富士』は心の中のイメージや記憶に残っている言葉がシーンに現れる。そしていつかシーンの方から近づいて来る。確信が情景を呼ぶ。

 東から登った満月は午前0時頃に頂点を過ぎて西に軌跡を描いて行く。夜明の1時間前、月は西の山に隠れる間際だった。
その月光で未明の山中でも景色が浮かび上がる。やがて遥かな空の彼方に朝の光が入り中空と天空の雲を染め始めた。

 光は音に、音は色に姿を変えた。「あ、音が見えた!」。
遥かな宇宙から朝が音を伴って現れた。夜中にシルエットで存在を示していた富士は未明〜暁に移行する毎に、稜線の色を変化させてゆく。

 いつも心に描いている息を呑む瞬間は美の極致である。微かな金色、薄紅、紫、赤、橙,茜、紅、薄紅、、、、。空は朝の光を待っていた。

 雲の流れが光の当たる場所を変えてゆく。流れは千変万化し朝陽は輝きを増して、厚い雲を透かす。透かされた雲が燃え立つ。谷の雲海が動き出した。光の音が聞こえるだろうか。

 『あ、かぎろひだ。』。
人麻呂は野に、私は空の雲の彩りにそれを感じた。振り返ると月はもう西の山の向こうに沈んでいた。

【天晴五月舞】
夢よ大きく空に舞え
5月2日 午前10時 朝霧高原
 ここは富士山麓の西側R139号沿いのドライブイン「もちや」である。朝霧高原の真ん中にあるとっても良い所。その名の通りお餅が名物だ。

 搗きたての餅は、おろし餅、きなこ餅、あんころ餅となって店頭に出て見る間にどんどん売れていく。私はしょっちゅうここに行く。そういえば、ここ数年、新年の2日には「もちやドライブイン」で雑煮を食べていた。

 4月下旬からは百匹の鯉のぼりが芝生を渡る風に揺れる。実に爽やか。富士山と鯉のぼりはとても良く似合う。ある年、奇跡が起きた。端午の節句に桜が満開だった。やった!此花開耶媛から私にご褒美だ。気付いた時に風が来た。

風はらみ 夢よ大きく 空に舞え
青空白雪鯉のぼり 端午の節句に花満開

 児に託す親の気持にも似て颯爽と泳いでいる。画面の中にも風が吹いている。動いている。動いている。流れている。

 お客様から作品のリクエストを頂いた。「天晴五月舞」の写真を額に入れて壁に掛けるとの事。
そうか! この手があったか!! 部屋の中に鯉のぼり。場所は取らず臨場感があって見る人皆がいい気分になる。

 これは新しい流行になるかも知れないなあ。

【藍 色 絵 染】
至妙幽玄、紺と金。
9月26日 午前5時半 丸山林道
 数年に一度の天地創造を思わせる様な、空を真紅に染めた朝焼けが終わった後、まだ空に漂う雲も山肌も第2の彩りの時に移って行く。今朝、藍色の富士が目の前に在った。

 雲は旭光を受け黄金の帯となって輝いた。出現が奇跡の様な紺青と金の饗宴である。藍の色は私達日本人が一番好きな色。
金の色は究極の美。

 深い藍と共に在れば共に際立ち、互いを引き立てる至妙幽玄の美となる。また一つ、観た事のない世界を観る事が出来た。

【満天の流星】
宇宙よ。
11月19日 午前3時7分〜37分 富士山二合目 西臼塚
 獅子座流星群が今年確実に日本から見えるとTVやラジオで情報を流していた。今度こそ写真にしたいと思い場所を考えた。

 流星は東の空から。本栖湖や朝霧高原に陣取れば見える確率は高まるが、きっと人で溢れ返る。もっと条件が厳しくて素晴らしい所は無いか。そうだ、富士山の中腹で南から北の空を観よう!。21時、富士連の弟子達の案内である場所に向かった。

 中腹の草原に着いた。先刻まで少し湧いていた雲は綺麗に取り払われ、夜空には隙間の無いほど散らばった冬の星座が輝いていた。今、私は富士山と北極星を正面に、オリオン星座を背面にして、宇宙の彼方から飛来する獅子座流星群を待つ。

 気温は0度になった。暖かい。地球温暖化が進んでいるのが分かる。ひと昔前の11月なら零下6〜7℃だった筈だ。
午前2時、開始を知らせる様にピューンと大きな光が東から西に流れた。そしてドラマが始まった。富士山とその上空にカメラの角度を固定して、入って来る流星だけを取り入れる。

 東の空に流星発生の中心が有り、そこから四方八方に星が飛ぶ。歓声が上がる。中腹の五合目の帯は天体ショーを見に来た車のライト。それも含めた全景を草原から受け止めている。もし私があそこにいたらこの写真は撮れなかった。

 北極星を軸に天体が回る。露出時間は30分にした。これなら星の軌跡は北極星を中心に円軌道を描く。そこに斜めに流星が飛び込んでくれば絵が出来る。予めイメージは出来ていた。
後は天の恵を待つのみ。

 少しの間隔を持って、音がする様に流星が降り始めた。この瞬間、大気と宇宙と自分が調和しているのが分かる。私は宇宙に浮かんでいる。

 そして午前3時19分。最大の流星が飛んだ。現像が上がって嬉しかった。 ときめきの富士 ここにあり。生きている事、生かされて天命のある事に感謝した。

 発表した後、【夢の叶う写真】として有名になった。流れ星は停まっている。29本数えられる。だから願い放題だという訳。

【夢への入口】
皆んなこの時間に夢を観る
12月5日 暁の頃 西川林道
 ずっと天気を観ていた。風と雨は夜中に止みそうだ。
久し振りに西川林道で夜明けを迎えてみよう。天気の変わり目に立つ場所は、いつも直感で決めている。

 12月20日が林道閉鎖の標準日だが、西川林道は降雪に左右されて早まる事が多い。案の定、12月9日に閉鎖になると看板が出ていた。

 富士山の北西に当たる西川林道、三つ峠、富士吉田市一帯では、裾野までの富士山が左右対称で日本一美しい地域だと言われる。高い場所から見れば河口湖を見下ろし、空がとても大きい絶景の場所だ。

 夜明け前、綿の様な雲が湖をすっぽり覆っていた。岸辺に人家と河口湖大橋があるから、雲の下から灯りを透かす様に観えていた。幻想的で不思議な光景だった。

 稜線に暁の光が来るのを待っていたら、湖を覆っていた雲が動き始め、大橋の灯りが強くなった。早起きの車が橋を通っている。だが大橋の光は対岸まで見えず、半分を雲に隠されていた。

 その内に空に色が付き始めた。オーロラみたいで吸い込まれた。たまらん。私も染まる。去年、【千と千尋の神隠し】を観た。あの中に湖の中に消えて行く心の電車があった。何と、同じ情景じゃないか!

 【夢への入口】。半年間寝かしておいた。時の洗練を受け、改めて出して観た作品に「ときめき」が失われていない事を確認した。

「お待ちどおさま。君の出番だよ」。
空の色が広がってきた。皆んなこの時間に夢を観る。
もうすぐ . . . . . . . 夜明け。

【富士大和桜】
御神体と富士山と
4月24日 富士吉田市 富士見孝徳公園より
 ここの桜は少し遅れて満開になる。

 近くには世界的に有名になった新倉山の浅間公園があり、五重の塔と桜と富士山というこれぞ日本という風景がある。
有名になった責任の一端は私にもあるかな。

 そこの桜は4月の上旬に満開になり、多くのお客さんを引きつけてくれている為、同じ高度の山続きでも2週間遅れで咲く孝徳公園は今はまだ守られている。車は殆んど不可。

 数年間その時季に訪れてみた。背面に国福大神社の小さな祠がある。国福の神は天照大神、大神社と呼ぶのは間違いで国福大神の社と呼ぶのが正しい。

 石段を登った祠の直前でようやく梢の間から雪をかぶった富士山の頂が見えた。2012年のこの日が最高だった。祠を背に、赤い鳥居を入れて春爛漫の素晴らしい景色を頂いた。

 新倉浅間公園と富士見孝徳公園は地元の人が愛してやまない景勝の地。小学生が遠足でやって来る場所だ。いずれ2つの公園を遊歩道で結ぼうという計画があるという。

 もしそうなっても大々的に海外向けのパンフに載せない事を信じている。こんな小さな憩いの場所が、何も分からない海外の人達に埋め尽くされるのは是非共避けて欲しいなあ。

 富士大和桜。 日本の心。富士と桜とやおよろず。

【瑠 璃 白 光】
ここから生まれた
8月中旬 午前7時半 静岡県山伏峠
この写真が「出るよ!」と手を挙げた。【大和彩輪】と同じ朝のときめきだった。ずっとその意味するものが判らず寝かしておいたが、いよいよ世に出す時が来た。

 今朝、天空の旭日はかって観た事のない巨大な光の輪になって出現した。それは光のエネルギー。天と地の神々が光彩の輪の周りで無数の命を輝かせて、躍り、舞っている。新しい次元への昇華の誘ないだろうか。

 メッセージを持ったシーンが次々と目の前に出て来たと以前に書いた。極めて多くの人が見、写真に撮っている富士山とは異なる光景を富士山が見せてくれる。これもそうだ。完全逆光だが極大の太陽を完璧に受けとめた。

 宇宙次元という言葉を耳にする様になった。裾野を伸ばして見えている山だけが富士山ではない。眼に見えている部分は瞬間の凝縮の形であり、見えなくてこれを形作ったエネルギーは悠久無限に連続している。

 人間も地球も無限宇宙の一部である。
だから一つは全て。全ては一つなのだ。事象は宇宙自然からの気付きの促しである。調和と感謝以外に存在する目的は無いと。

 七色の光の彩輪が日に日に大きくなっている。

【現変化(うつしへんげ)】
視界の向こうに在るもの
9月25日 深夜 丸山林道
 不思議な夜だった。
下界から見えない山々は丸山林道の中腹まで登るとうっすらとシルエットになっていた。まるでここ迄辿り着いた者だけに観せてくれる様に。

 今宵は満月、気圧配置の影響で上空に早い風が走り次々と雲を流している。月は夕刻に出て深夜にかけて天空に上り詰め、頂点で弧を描いたら同じ早さで夜明の時間帯に沈む。

 午後11時、左上方から月が入ってきた。それをどのタイミングで受け止めるか、じっと目を凝らし雲の形と光のバランスを読み切る。

 ある瞬間、感じた。受け止めたのはこのシーンのみである。
写真の出来上がりが楽しみだった。プリントを観て声も出ず。
何が写っているんだろう。上空の雲は走り山に絡む下の雲は停まっている。

 満月は雲の後に入り、その光は近くの雲に輪郭を付けた。
そして遙かな富士山がぼわっと出ている。過去、現在、未来が一緒に写っている様だ。だからこの題が浮かんだ。
 
  昨年 (2004年)、徳間書店から表紙に使いたいと依頼があった。出来た本は「前世と生まれ変わりの超真相….コシノケンイチ」。表と裏の表紙にこの写真を正像と逆像で使ってある。

 内容は現世と霊魂の事、かなり専門的だが読み進んでいく内に編集長が【現変化】を選んだ理由が理解出来た。私も今まで知らなかった事をこの本によって知らされた。

 最近この作品が人気である。21世紀になってから経済や効率や科学よりも、観えない世界にある真実を心で感じる人が増えている。何かを感じて観てくださる人が多い。

 私は超凡人、感じ方も鈍感な方だが富士山が呼んで見せてくれる一瞬の光景を、そのまま受け止めるようにして生きている。偏らず、力まず、こだわらず、しかし妥協せずに心の中にイメージの出現を読む。それは確信に近い。

 ときめきの富士 それは歓び 感謝無限大。