ときめきの(20-29)作
(額はイメージです)
【 白 峰 連 山 】
出来た! 南アルプスがど真ん中だ。
1月6日 午前11時 御殿場上空5000m
 操縦桿を握るのは72歳の梅川荘吉博士。
NASA宇宙工学の権威であの向井千秋さんの師である。先生は今も青年だ。仲間数人で6人乗りのビーチクラフト機を共同所有している。

 私の意図を聞いて先生は何度も飛行して下さった。
1回目、富士山の乱気流で近寄れず。10日後の2回目、近付くに連れて雲が厚くなり調布基地から危険だから引き返せと指令が出た。そして1週間後の3回目、絶好の天気の時にカメラが作動しなくなった。なぜこんな事が・・。極めて無念だった。

 これ迄にかなりの経費が消えて懐は寂しくなっていた。次も成功するとは限らない。でも止める訳には行かぬ。もう1回だけ飛んで貰う事にした。

 最後の挑戦4度目は年を越した1月6日。カメラは完全マニュアル式を2台用意した。冬晴れの中、道志村、山中湖、河口湖と、いつも走り回っている道や湖が観える。

 上空を数回廻って位置と角度を探す。空から観る富士山は格別だ。北麓を廻り、朝霧高原を過ぎ、南側の富士宮市、富士市、御殿場市上空に到る。エンジン音はかなり大きい。

 「撮ります!」と叫ぶと機体を垂直に変えて伊豆方面に向かい、反転して乱気流の中を峰にめがけて突っ込む。角度が合わない。「もう1回!」と大声で叫ぶ。

 今まで下に在った地面が横にある時は感覚がおかしくなる。
恐怖で床に足を踏ん張っている。踏ん張る必要はないのだが。
何度か突っ込んで、頭が真っ白になりかけた時にちらっと観えた光景があった。

 ある方向から突っ込んだ時にだけ、嶺の彼方に南アルプスが完全にど真ん中に入る極めて狭い角度を発見した。何度反転して突っ込んだだろうか・・。先生は楽しんで頂上めがけて突っ込む、私は髪の毛を逆立てて必死に踏ん張っている。

  そして出来た。撮りまくった中に1枚だけ整った写真が有った。今迄世の中に無かった写真が出来た。彼方の空に低気圧の層が見える。2日後この層が関東を覆い、数年来の大雪になって都市機能が麻痺した。

 写真が出来て先生にお届けしたら喜んでくださった。
「あなたの撮りたかったのはこのシーンですか!」。
懐かしい思い出の撮影飛行である。

【初 ひ か り】
宇宙の彼方から最初の光
1月18日午前6時38分 山中湖平野浜
 凍てつく。
午前3時半に湖に着いた時、外は-15度になっていた。車中でも-11度だ。エンジンは直ぐに停めた。それが富士山の撮影では自然なスタイルだ。

 時々、朝までエンジンを掛けて待機する人がいるが、自分が楽する為に自然を痛めつけている事を、殆どの人がが気づかずにやっていることなので、言われると大抵の人は分かってくれる。通常はこれ位の温度でも寝袋で十分なのだから。
 
  冬は白雪が染まる紅富士。土が赤くなる夏の赤富士と区別してこう言われる。今年は寒波が2度も襲来して胸が騒いだ。
明朝は冷え込むと読んで何度も夜中に駆けつけた。僅か数10秒のドラマに会う為に。

 冬、太陽は日本 (地球) から一番遠い位置にある。東南東の方角から出る冬の朝陽は、日本では最初に富士山の頂上に届く。
気温低下が激しく空気が澄みきって、雲が無い時に「紅富士」が出現する。それを今年は撮れそうな予感がしていた。

 午前6時。夜明の前は最も気温が下がる。気温は-20度。目を凝らせば淡い暗闇の中に、うっすらと湖に続く氷結の雪原と富士山が姿を見せていた。キーンという空気感。何も聞こえない。
無音というのはこんな世界をいうのだろうか。

 6時39分、最初の光が頂上に届いた。凛とした気が漂う。
少しずつ紅が白雪を染めて行く。そして10数秒後、ドラマはクライマックスを迎えた。五合目から上のの冠雪全てをピンクに染め、堂々とした麗姿が氷結の湖に現れた。

 冴え渡る濃い色は僅かの時。やがて徐々に赤が消え、黄色とセピアが混ざった色に落ちてゆく。5分後には何事も無かった
様な表情の富士がそこにあった。

 心を研ぎ澄まし毎年数回の一瞬の前に立つ。そして心に誓う。
いつか鮮血の紅が私を迎えてくれるシーンの前に立つ事を。

【湖 畔 桜】
春は湖畔の山桜。
4月中旬 午前9時 田貫湖より
 ダイヤモンド富士で有名な富士宮市の田貫湖。元々は灌漑用の「田貫沼」だったが整備されて湖に昇格した。

 湖のそばに立派な桜がある。ずっと以前は春になっても湖畔は寒く、ダイヤモンド富士の時期と同じかそれが終った後の四月末に咲いていたが、今では逆転して中旬から上旬にかけて花が開く。

 雪を冠った嶺と抜ける様な空の色、桜の満開と一致する朝を選んでここに逢いに行く。色は年ごとの時間帯と大気の湿度を透過する日光の強弱によって変化する。桜はどの時間に観ても美しい。

 冬の寒さが厳しい時はピンクの色が強くなる。その色も朝と昼と夕方では色が変わる。暖かみを備えたやや黄色みのある時間差の色も捨て難い。冴えたピンクを観るなら午前9時までがいい。

 この桜を撮ったのは20世紀の終る頃。この春に見に行ったら花の量は少し乏しかった。そう言えばいつ冬になり、いつ春になったかの季節の変化が明確ではなくなって来ている。

 長い厳冬期を超して、待ちかねた春に一斉に花開くはずの絢爛の桜は、短くなった冬で調子が狂っているのかも知れないな。

 冬は寒く、しかも山麓ではその期間が長いと桜も喜ぶ。人間の都合のいい事は自然の歓喜の声には繋がらないなあ。

見渡せば里に色づく山桜 空の青さと富士の白雪

【麗 光】
ルビー色のダイヤモンド
7月 早朝 山中湖より
 夏の朝に沢山の赤富士を観て来た。赤富士は今ではポピュラーになった富士山の特異現象だが、出現の機会は多くない。
夜半の雨や朝の冷え込みはもちろんの事、頂上だけでなく山全体が燃える色になるのは数年に一度しかない。

 江戸時代には麓から見えた赤富士も、今では二合目から上の雲海の上に出なければ仲々拝めない。雲の上に出ても真っ赤な頂に逢えるとは限らず、多くは赤茶色の富士山を今では赤富士と呼んでいる。それらは夏富士と呼ぶのが正しい。

 私は恵まれていた。ときめきの富士の写真家として動き始めたのが今から16年前。今の様な地球温暖化が急速に進む前の最後の時季だった。四季の変化は明確に感じられた。

 冬は冬らしく、早春はまだ冬の寒さが残り、待ちかねた春は命が一斉に花開く様に輝き、梅雨はその名の通りしっかりと雨に恵まれ、強烈な夏が来てもまだ山の頂きには残雪が有り、秋は明確に10月から彩りを変化させて紅葉は深紅だった。

 朝焼けと夕空は空一面を覆う雲の広がりで、心まで燃え上がった。その明確な季節感は今では感じることが出来ない。
いつ季節が変わったのかも分からない穏やかな移ろいになり、雨も少なく空の焼けも紅葉の色もスケールが小さくなった。

 でも私は希望と確信を持っている。地球がまた輝きを取り戻し、日本に鮮やかな四季の変化が訪れる環境になる事を。
それは人間が宇宙自然の営みの中で、生かされている事に感謝し共生出来る時だ。

 今の自然環境になる前の最後の機会に撮っておいた写真がときめきの富士の中には多い。それを順次世に出して来た。
この【麗光】もその 1枚だ。ある夏の朝、湖に映った姿はまるで時が止まった様だった。

 それは数秒の出来事だった。最高潮の赤が山全体を染めた時、山中湖は鏡になって湖面にもその姿を映し出した。白鳥の遊覧船まで赤くなった。

 初めて観た逆さ赤富士。裾野を伸ばし麓には微かに帯雲が漂って上下の形は菱形=ダイヤモンドになっていた。そのダイヤがルビーの色だ。数ある赤富士の中でもまず出逢う事が奇跡に近い。

 やがて数秒後には鮮赤は沈赤になり、クライマックスは終った。 35ミリフィルムで撮っておいた事に価値があると思う。先日、畳一畳の大きさに伸ばして額装したらものすごい反響になった。

 嬉しい事にキャビネサイズを中心に、今一番ご注文が多い写真になりつつある。古来から吉兆とされる赤富士、その中でも貴重な逆さ赤富士。何かが始まるかもしれない。あなたの心に共鳴したら写真家冥利に尽きる。

【入江の慕情】
富士山に抱かれて
1月25日午後5時半 西伊豆静浦湾を見下ろす発端丈山
 湊に夜のとばりが降りた。海の色はまだ残っている。
冬の夕暮れは早い。斜光の残照が峰の白雪を照らしている。
山の蜜柑畑の細道には灌木が伸びて車を擦る。それを我慢して登って行くと少しだけ開けた場所が在った。

 夕方の5時、太陽は画面の左に移った。夕焼けから夜へと移り行く時間帯は、フィルムの上に美しい黄昏の叙情描写が出来る。漁を終えた漁船が湊に戻って来た。

 海に迫る崖の下に、這う様に切り開かれた湊町の住居に光が灯り出す。午後キラキラと輝いていた海は日没と共にその色を沈めてゆく。

 この移ろい行くひと時に全ての神経を集中する。海の色が残り遥かな富士は残照の淡紅、漁村に夜がやって来る。
この湊町も毎日富士に抱かれて日々を過ごしている。

 海を隔てた向こう岸は富士市の明りだ。気温の高い時は海からの上昇気流と製紙工場の煙で富士が隠れてしまう事が多い。 海に浮かべた筏は海老やハマチの養殖である。時節には餌をやる為に光を灯した漁船が行き交う。

 この入江、七変化の色が出るという。次は夜明の薄明りの中で漁船が作る無数の光跡を撮ってみたい。

「北斎さん見てくれ。現代の浮世絵が出来たよ。」

 海の色が完全に無くなるまで、私はずっと立って観ていた。

【紅 富 士】
ー20度を待っていた。
1月中旬 午前7時 御殿場市 富士山中腹の水ケ塚
 深夜に御殿場の陸上自衛隊の駐屯地の前の道を登って行く。
道はアイスバーンになっている。カーブで滑らない様に慎重にかつ好適なスピードを維持して葛折りの道をたどる。

 やがて水が塚駐車場だ。そこは富士山南側の二合目。目の前には七合目から上だけの峰が待っている。エンジンを停めて夜明けの前まで仮眠しよう。

 午前6時に起きた。車の中にある水のタンクは動かすとシャリシャリ音がする。何と1/3は凍っていた。素晴らしい!
今朝は−20度になるぞ。空の極みの色は寒さと引き換えだ。
冷え込むほどに赤の色は冴え、暖かいほど青くなる。

 私のカメラは完全マニュアル式。−30度でもシャッターが下りる貴重品だ。マニュアルだから絞りもシャッタースピードも自分の感覚で決める。こんな時はこの絞りで、露出時間はこれくらいでと勝手に手が動く。

 それは大気と同化する事だ。露出計に頼れば半分は機械が撮った事になってしまうから。独特の色の描写はこうして生み出す。こいつと一緒に沢山のときめきの富士を生み出してきた。

 午前6時50分が近づいた。爪先が痺れる。足踏みを繰り返す。
中々暖まらない。峰の上空にピンクの光の帯が出た。朝陽が放つ紅の色だ。陽が昇るにつれて帯は下がり峰の頂上に至る。紅富士はその帯の動きを観ながら撮影出来るからありがたい。

 来た! 頂上に色がつき始めた。白雪全体をピンクに染める時にこそ色よ極まれ鮮血の色に。そして今朝遂に出逢う事が出来た。それは10秒足らずの劇的なドラマ。このドラマを写真にする為に毎年狙いを定めてトライを続けてきた。

 ピークを過ぎると色は衰え紅は消えて茶色が入って行く。
それを観て撮影が終了する。

【頭を雲の上に出し】
富士山のように成ろう。
初夏の朝 山梨県 西川林道より
頭を雲の上に出し 四方の山を見降ろして
雷さまを下に聴く 富士は日本一の山

青空高くそびえたち 体に雪の着物着て
霞の裾を遠く引く  富士が日本一の山

そう、いつも前向きに、明るく爽やかに生きよう。

日本には富士山がある。富士山を見た事がない人も心の中に富士山がある。その調和のとれた美しい姿はもの言わず日本人に語りかけて来た。

天を衝く姿は自らの夢と志を表し、裾野を伸ばして全方位につながる姿は、お陰様の心を表している。
いつしか日本人の精神醸成に不可欠の存在になった。

心が世界を創る。心はいつも日本晴れ。
頭を雲の上に出し。

【春 爛】
完璧の一致
4月4日 午前9時 静岡県芝川町興徳寺
 春の天気予報は殆ど晴である。しかし富士山が見えるとは限らない。原因は春霞と雲だ。イメージは出来ているが、風が吹いて雲を払ってくれるのを待つしかない。

 晴天が続き、合間に雨の日があると、明日は期待出来そうだと思いつつも、花が雨でやられないかと気になる。最高の調和の時をイメージして何年も通い続けるのだ。

 共に日本の象徴だから桜と富士山の写真はよく見る。ところがこれほど難しい被写体は無い。

 春霞が完全に取れた青空、午前中の空気の澄み切った時間帯、光燦々、枝振りの良い桜が満開、富士山は裾野を見せ、頭には白雪、無風で花が揺れず、花びらの陰が少なく、峰の上にアクセントをつける雲、最高の構図と露出・・・・・・。

 1枚の完成に数年かかることもある。

 この日、沢山の人が詰め掛けた。そして境内の外れの斜面に立ったのは私だけだった。頂上から枝までの空間が勝負だ。面白い雲も湧いてきたぞ。右下の麓の丘に菜の花の畑が見える。

 広重描く桜にも似て、時を超えて愛される1枚になっている。

【 盛 春 】
最高潮の春が来た
4月4日 静岡県芝川町柚野
 寺の境内で枝垂桜を撮りながら目は彼方の丘の上の黄色の帯を追っていた。早々に櫻に別れを告げて丘に急いだ。間に合った!。さあ撮ろうと思ったら、同じ事を考えている人達が丘に先回りしていて三脚を立てる場所がない。

 いつもは気のいい連中もこの日ばかりは目の前の撮影に夢中で、場所を譲る余裕を見せてくれない。車から脚立を取り出した。三脚の高さは2.5m。皆の頭の上から「はいごめんよ」と言って撮った。醍醐味である。

 高い場所から写したから菜の花がモクモクと立体的に写ってくれた。場所を譲ってくれなかった人達はどうなっただろう。恐らく目の前の菜の花がベターッと続いたひょ標準的な描写になってしまったのではないだろうか。

  菜の花は毎年土地の人が植える場所が異なる。気象にも左右されて、どの場所の最高潮はいつ来るかと毎日チェックが必要だ。

  手前から奥までグワーッと広がる畑、右も左も菜の花だ。
森には山桜、富士に白雪、青い空と流れる雲。何年ぶりだろうか。こんな日は山麓にいるのがとても楽しい。櫻と同じく光に満ちた最高調和の富士、一般的には「奇麗だなあ」で終ってしまうが、出会えること事態が今では奇蹟に近い。

 輝く様な盛りの菜の花は気持が晴れ晴れする。部屋の空気がいっぺんに明るくなる。『盛春』と名付けた。人との折衝や、ソフトウエアや頭脳労働の専門職の方々がよくこの作品をお求めになる。

 ほっとして気持が解放されるからと言って下さる。景色の窓を開けて、覗いているような臨場感が出たかな。爽やかな風も部屋の中に吹いてくる。

【早 春 讃 歌】

3 月 富士宮市本宮より
 春を告げる白梅が咲き誇っていた。空は抜ける様に青く、富士山はたっぷりと雪をかぶって裾野を伸ばしている。心惹かれた白梅の古木が2本畦道に立っていた。どう画面に取り入れようか、花と対話しながら立つ位置を探した。

 立った位置からは絵にならない。後ろに下がって屈まねば富士山が入らない。角度を探している内に腹這いになった。カメラはもう地面の上、しかしまだ窮屈だ。もう少し空を開けたいと思い、地面を掘った。

 30cm、40cm、ようやく峰の上に雪の幅と同じくらいの空が開いた。私の首を長く伸ばしカメラと共に穴の中に入れ、体は土と藁クズまみれになって撮っている。これもピンポイントの角度だなあ。

 出来た写真は絵の様だ。紺碧の空をバックに大小の2本が競演し、画面をたっぷりと花が占めている。中央で富士山が微笑んでいる。こんな構図はまた幾人もの画家を刺激するかも知れないなあと思う。

 本宮(もとみや)という神社が近くに在る。ご神体は富士山。
そんな素朴な神社が山麓には多い。この一帯には懐かしい日本の景色が広がっていて、時の流れもゆったりしている。富士山麓の南西部だから、陽射しはたっぷりで長く春を堪能出来る。

 土を埋め戻して、富士山に挨拶して東京に戻った。